Q)初めてMDRTを達成したのはいつですか?
2023年の時に初めて達成、入会できました。
2022年1月入社で、なんとか1年目で達成できました。
Q)この仕事を始めて何年目ですか?
このお仕事を始めてから5年目ですね。
Gift Your Lifeに入る前は、国内生保会社に3年半くらいいました。
業界経験としてはこの1社だけで、そこからGift Your Lifeに来ました。
Q)もともとはどのようなご職業だったんですか?
国際線の客室乗務員を20年ほどやっていました。
それで、そのお仕事を辞めて、しばらくは仕事もしないで、ゆっくり過ごしていたんです。
時間があるので、毎朝、近くの氏神様にお参りにお散歩をしていました。
その当時は、特に何がしたいという事もなく、「何か人のお役に立てる役回りを与えてください」というようにお参りしていたんです。
そんな日常を過ごしていたある時に、知り合いの方から、「保険会社の仕事があるんだけど、説明会に行ってみたら?」というお誘いをいただいたんです。
当時の私は、保険に全く興味が無くて、生命保険の必要性を感じてもいなかったですし、自分も家族も保険に加入していなかったんです。
そんな自分が後々、まさか保険の仕事をすることになるなんて、もちろん夢にも思っていなかったです。
Q)その時で無保険だったという事ですか?
そうです(笑)
体も健康でしたので、病気もしたことないですし。
必要性を全く感じていなかったんです。
興味は無かったんですが、そういうお話をいただいたので、「せっかくだから行ってみようかな」というような気軽な気持ちで説明会に行ったのが、この業界と触れ合うキッカケでした。
Q)実際行ってみて、どうでしたか?
事業説明を聞くとかそういう感じではなくて、ご紹介いただいた国内生保会社のトップセールスの方に会いに行く、その方の話を聞きに行くというような気軽な気持ちで行ったんです。
私の中で、”生命保険のおばちゃん”は、”ゴリゴリのおばちゃん”というイメージだったんですけど、その方とお会いして、その概念がガラッと変わりました。
見た目もおきれいですし、エレガントで、素敵で、こういう方がいるんだと驚きました。
こういう方がいらっしゃるなら、私にもできるかもと思って、その場で入社を決めてしまったんです。
Q)その方に憧れてという感じですね。
そうです。「この仕事に」ではなく、「その方に」憧れて、この業界に入った感じなんです。
今も現役でトップを走り続けていらっしゃいます。
Q)その方に会えたというのはラッキーなことだったのでは?
そうなんです!
国内生保会社の場合、紹介者がいるオフィスに所属するという仕組みなので、誰と出会うかでどこのオフィスに入るかが変わってきます。
なので、私の場合は、先述の方がいらっしゃるオフィスに入りました。
直接その方から指導を受けるという感じではないのですが、近くにいられる環境ではありました。
Q)そこまで設楽さんを動かした、その方の魅力とは何だったのでしょうか。
その時は、初対面だったのであまり深い話はしていなかったのですが、その方から出ている雰囲気とか、オーラのようなものだったのかもしれないですね。
法人をメインに活動されている方なので、社長の方々に喜んでいただけるためにはどうしたらいいか、ということを常に考えている方でした。
そういう想いや雰囲気が、初めてお会いした時にも感じ取るものがあったのだと思います。
これを言われたからとか、こういう仕組みがあるからとか、お金の条件だったりという具体的な話ではなく、その方の魅力が、この業界に入るキッカケでした。
Q)「人の役に立ちたい」という価値観にフィットした感覚でしょうか?
そうだと思います。
今思えば、人の役に立ちたいという考えも、神社に行くようになってからだったと思います。
客室乗務員のお仕事は、子供のころからの夢で。
本当に、色んな努力をして。
留学したり、スクールに通ったりして、努力を重ねて勝ち取った夢の仕事で。
本当に天職だと思っていましたし、毎日が楽しくて、あっという間の20年だったんです。
夢をかなえて、夢が仕事につながるということが、本当に一握りなんだということに気付いた時に、私はなんて幸せだったんだろうって、後から実感しました。
皆さん、そうやって夢をかなえてるのかなと思っていたんですけど、そうではないと分かった時に、本当に幸せな時間だったなと思ったんです。
当時、自分自身は楽しくてやっていたので、自分中心的な考え方だったんです。
ですが辞めてから、色々なものに触れたり、考える時間が出来たり、スピリチュアルなことに触れる時間もできた中で、”自分”というよりも、これから次のステップでは、”人のために”と漠然と思うようになっていました。
それで神社でお参りした時に、ふと「人のお役に立てる役回りを与えてください」というような思いが自然に湧いてきた気がします。
Q)もともと神社に通うという習慣はあったんですか?
無いです(笑)。
本当に時間があって暇だったので(笑)。
朝起きてお散歩するのを日課にした感じですね。
それまではそんな時間も無かったですし、生活も不規則だったので。
時間が出来てからは、自分が住んでいる、街を守ってくださっている神様にお礼の気持ちで通うようになりました。
Q)国内生保会社で3年半、そこからGift Your Lifeへ移籍するわけですが、キッカケは何だったのでしょうか?
保険代理店というものがあるという事は知識としてはありました。
その中で、初めての業界、初めて営業の仕事だったので、まずは基礎を学んでいつかは、という漠然とした思いはありました。
国内生保会社1年目の時に、担当地区を与えられ、その地区の既契約のお客さまのところへ訪問していくというところからのスタートだったのですが、これをやっていても限界があるなと、早い段階から危機感を持っていました。
何か、それプラスアルファを、自分で何かをしなければいけないという気持ちが強かったのです。
色んな勉強会に行ったり、研修を受けたり、ボランティアの民間団体に入ったり、活動の場を広げていきました。
その中で、横の広がり、外資系保険会社の方や保険代理店の方々と交流ができてきて、色々なお話を伺ったり、こんな保険があるのかということを知っていくうちに、一社だけの商品には限界があるというような思いが強くなってきたんです。
世の中には、こんなに良い保険商品がたくさんあるのに、一社の商品しかお客さまに提供できない心苦しさが、自分の中で大きくなってきてしまったんですね。
そんな中で、当時通っていた神尾塾の神尾えいじさんからご紹介いただいたのが、Gift Your Lifeの豊福代表だったんです。
神尾えいじさんは私の師匠で、辛い時も本当に相談に乗っていただいていたんです。
国内生保会社に入社して、1年くらいした頃に神尾えいじさんの講演を聞く機会があり、それでこの人に会いたい!となって、神尾塾に入ったんです。
Q)勉強会や会合に行ったとおっしゃっていた「危機感」というのは、行先が無くなるという危機感ですか?
そうです。
行き先が無くなるという”危機感”から、知識を広げたり、人脈を作りたいと思って、色々なところへ顔を出すようになりました。
それで、色々な情報や人に触れることによって、取り扱い商品の少なさに対する”危機感”が新たに出てきたという感じです。
動く分、お金もたくさん使いました。
高級外車が一台買えるくらい投資しました(笑)。
Q)その投資の甲斐はありましたか?
そうですね。
その時は、本当にもがいて、つらくて、、、
航空会社にいたときは、年齢が若かったこともあると思うんですが、名刺を出すと、すごいですねというような反応があったんです。
それが、国内生保会社に入った時に、、、
まず、自分から出せなかったんです。
華やかな世界から、国内生保会社に移った現状を、自分自身が受け入れられなかったんだと思うんです。
おかしな話なんですけど。
だから、友人にも周りの人たちにも、保険の仕事をしているとは、1年くらい言えませんでした。
親からも反対されていましたし。
それで、あるときに、社長の集まりの場で名刺を出した時に、「なんだ保険屋か」と言われたんです。
これは悔しかったですね。
でも、自分が選んだ道だから。
Q)この業界に入って何年目の時だったんですか?
1年目です。
今だから分かる気がするんですけど、私自信、自分が受け入れていなかったんだなと。
私自身が現状を受け入れていなかったから、それを見透かされていたんだと思います。
Q)覚悟の部分ですかね?
そうなんです。覚悟が決まっていなかったんですね。
でももし、それで嫌になって辞めるとなったら、入社のキッカケになった方にも迷惑がかかりますし、あとは私にできないはずはないという自信があったので踏ん張れたんだと思います。
色々な方ががんばってやっているのに、私にできないはずはないという、プライドが強くありました。
それまでのキャリアとか、自分のプライド、変な自信があったのだと思います。
ちなみに前職の時は、世界は自分を中心に回っているというくらい、勘違いしていましたし、山のようにプライドが高かったんです。
Q)狭き門の客室乗務員の試験をパスしたことを考えると、元々、根性はあるタイプだったということでしょうか。
そうかもしれないですね。
一番最初の研修の時に、担当地域の中でどれだけアンケートをとれるかという新人のイベントがあったんです。
知らないお宅にピンポンするわけです。
2月の雪が降っている日でした。
もちろん、それまでの人生で、見ず知らずのお宅にアポなし訪問したことなんてなかったので、
一軒目のお宅のインターフォンを押すのに、20分かかりました(笑)。
色んな葛藤があって。
恥ずかしいとか。
断られたらどうしようとか。
一軒目、大変でしたね(笑)
でも一日頑張って、同期の中で1番になれました。
航空会社勤務の時は、新人さんを指導するような立場だったのに、と思いましたよ。
何で自らそんな世界に飛び込んで、何でこんな苦労しているんだろうって。
でも最初の一年間は絶対にやりきるぞと思って、毎月ノルマは必死に達成していきました。
Q)昔を知る方からみたら、別人のようですか?
そうだと思います。
とにかくプライドが高かったですから(笑)。
自分が中心に回っていると思っていたので(笑)。
昔からの友人からは、変わったねって言われます(笑)。
一般の感覚をつかんできた感じです(笑)。
Q)全然キャラが違っていたんですね。
違いますね。
そこからのスタートなので、本当に自分でも、ここまでよくやってきたなと思います。
Q)やはり国際線の客室乗務員さんといえば、花形の職業だと思います。
そうですね。
体力的にもハードでしたけど。
時間軸も滅茶苦茶だったんですけど、順応していまいたね。
立場が人を作ると言いますが、本当にそうだなと思うんです。
ニューヨークからのフライトで20時間くらい起きていて、帰ってきてシャワーを浴びて、そのまま遊びに行ったりとか。
風邪もほとんどひかなかったですし、自分が好きなことだったので、本当に楽しく元気に要られたんだと思います。
Q)なぜそのお仕事を辞められたんですか?
一言でいうと、やり切ったという感じです。
明確な出来事とかではなく、燃え尽きたというか。
天職だと思っていましたし、大好きな仕事だったんですが、辞めたことに全く後悔はないです。
やり切ったという気持ちだけです。
Q)そこから、お散歩の日々が始まり、国内生保会社に入社するまではどれくらいの期間だったのでしょうか?
2年くらいですね。
結構お散歩してました(笑)
毎日、自由に過ごしていました。
ずっと走り続けてきたので、少しゆっくりしようと思って。
途中ワインのインポーターや審査員の仕事も2年ほど経験しましたが、
そんな中での、保険業界との出会いでした。
Q)説明会に行って、その場で決めたとおっしゃっていましたが、後から他も見て見ようとはならなかったんですか?
そうですね。。。
思わなかったんですね。何故でしょう。
猪突猛進型なんですよ、私(笑)。
本当に、最初の一年間は辞めたいと思うほどつらかったんです。
でも、辞めることはいつでもできると思ったんです。辞めるのは簡単ですよね。
でも、ここで辞めたら、大変な思い、この仕事は大変なんだという感覚のまま終わってしまうじゃないですか。
私のポリシーというか、理想があって。
私、山口百恵さんの潔さが好きなんです。
山口百恵さんのように、自分が楽しくて絶頂の時に辞めることができたら、自分も良い思い出がいっぱいだし、周りにも惜しまれて辞められる。
それが私の理想で。
最近でいうと、安室奈美恵ちゃんのように。
嫌な時に辞めたら、嫌な思い出、本当は楽しくて素晴らしい経験や思い出があるのに、それを経験しないで辞めてしまうのは勿体ないと思ったんですね。
だから、客室乗務員の時もそうでしたし、この仕事でも、まずは頂点を目指して、そこを経験して、その時にその先のことを考えればいいって。
だからMDRTを達成するまでは、絶対辞めないという想いで今まで続けてきたんです。
Q)国内生保会社の三年半の間では、届かなかった?
もう全然。箸にも棒にもかからないような。
全然そこにははるか及ばない、はるか遠いものでしたね。
Q)では、そこに手を掛けたいという想いも、代理店へ移る後押しにもなった?
もう、そこですね。もちろん、取り扱い商品の部分も大きいですが、その夢は絶対につかみたいという想いも強かったです。
Q)目標が明確な方が走りやすいタイプ?
そうですね。まさに。
Q)ちなみに客室乗務員の夢を具体的に持つようになったのはいつ頃ですか?
中学生くらいですね。
母がなりたかった職業だったので、小さいころから話を聞いていて、もう自分はなるものだと思い込んでいました。
もう、見えなくなっちゃうんですよね私。これって思ったら。
もう自分はそこに行くものと思ってました。
だから、他のものが、選択肢すらも目に入らなくなっちゃう(笑)。
先ほどの質問もそうですけど、他は?って聞かれて、今気づきました(笑)。
たしかにそうですよね。今まで考えたこともなかったですね。
Q)神尾えいじさんからの紹介で豊福代表に会ったという事ですが、そこでもすぐに決めてしまったのですか?
はい。ここでって(笑)
いくつかお話は聞いたんですけど、豊福代表にお会いした時に、ここ!って決めましたね。
国内生保会社の女性の方に最初に会った時のような感覚もありましたし、神尾えいじさんからの紹介ということで信頼もありましたし。
豊福代表の下でもう一度頑張ろうって思いました。
Q)惹きつけるものがあったと。
そうですね。森本支社長とお会いした時も、国内生保会社の女性に会った時と近い感覚がありました。
私は常に、目標となる身近な憧れの存在の人がいる、という感じなんです。
ありがたいですよね。
この人に近づきたい、こんな風になりたいという目標となる人が身近に、明確にあるってありがたいと思います。
Q)代理店に移って一年目にMDRTを達成するのは、それまでと同じことをやっていては難しいと思います。何か変えた部分はありますか?
それまでは色々な会合や勉強会に行っていて、忙しくしていました。
ですが、アウトプットが出来ていなくて。
インプットするだけで、自分の身になっていなかったんですね。忙しいばかりで。
ある時に、これでは自分の体も疲れるし、いったん手放そうと思ったんです。
手を出し過ぎていたので。
ちょっと整理しようと。
自己啓発とかスクールとか、全部辞めたんです。一旦リセット。
辞められないと思っていたんですが、思い切って辞めたんです。
何かを辞める時の方が、勇気がいるんですね。
何か、握りしめていたものを手放すときって、勇気がいるんですけど、勇気をもって手を離したら、握りしめていた”ここ”にスペースが出来たんですね。
スペースが出来て、余裕が出来たんですよ。
すごく抽象的な言い方ですけど、その時に心の余裕が出来て、気付いたら達成という感じでしたね。
Q)スペースが空いた時に、新しいものは取り入れたりしたんですか?
入れてないです。
外に向けていた意識を、自分に向けたんです。
これをしなければいけない、これを学ばなければいけない、ここに行かなければ人脈ができない、と思い込んでいたんです。
ですが、実はすでに自分の中にあって、そういった外に力を求めなくても、自分にはそういう力があるという、自分を信じて意識の向きを変えたことで、”ここ”に空気が出来て回り始めたんです。
そこからご紹介が出始めたりとか。
だから、自ら動いて取りに行かなくても、自然に”ここ”に入ってきてくれたという感覚です。
何かがむしゃらに、何かやったわけではなくて。
具体的には、特別なことは何もしてないんですよ(笑)
Q)最初の頃は、近しい人に保険の仕事のことは言えなかったとおっしゃっていましたが、それとは反対に周りに話し始めたとか?
そうですね。それもありますね。
自分から言えるようになって、だったら設楽さんにお願いしたいと言っていただいたり、自分から紹介してくださいって言わなくても、紹介をいただいたり。
自分から無理してお願い営業しなくても、自然に入ってくるようになりました。
Q)自分に自信が無くて言えなかったというところが、覚悟が出来たことによって引き寄せるようになった?
それです(笑)
その通り。
Q)覚悟が決まって手放したのか、手放したことによって覚悟が決まった、どちらでしょう?
手放したことによってですね。
意識的に手放しました。
「忙しい」って「心を亡くす」と書くじゃないですか。
だから、「心」を取り戻したんです。
Q)色んな事に手を出してたんですね。
すっっごい色んな事に手を出してました。
お金と時間を掛けて、色々な所に。
毎晩外食というくらい色々な所に行っていました。
休みがないくらい、色々所に。
暇さえあれば。
Q)それによって得られたこともあったのでは?
あるんですけど、手放して得たことの方が何倍も大きいですね。
アファメーションってご存じですか?
自分に暗示をかけるんです。
私自信が、常にMDRT会員であるように振舞うんです。
家を出てから、駅までの道、「私はMDRT達成するんだ」ってずっと唱えながら行くんです。
おかしいですよね。変人みたい(笑)
周りの人には分からないくらいの声で、自分に暗示をかけていたんです。
「私はMDRT達成」「私はMDRT達成」って(笑)
Q)それって客室乗務員の時もやってたんですか?
そうなんです。
今思い返せば、成功した時って、それをやっていたなって。
おかしな話なんですけど、客室乗務員になる前、受験もしていない、まだ目指している頃に、”もう客室乗務員になって、キャリアも積んで、みなさんの前で講演する”という講演の練習をしてたんです。
おかしいですよね(笑)
体験談を皆さんの前でお話しているという練習をしていたんです。
まだ客室乗務員になってもいないのに。
家に帰る夜道を、制服を着て空港を歩いている姿をイメージしながら歩いたりとか(笑)
妄想しちゃうんです(笑)
豊福代表がよく言いますけど、感情の先取りをするんですね。
だから、MDRTで、その会場で、喜びの想いを、感情を先取りして、「私はMDRTの会員」ってモゴモゴ言いながら帰ったり、自作で名刺にMDRTのマークを付けてこっそり持っていたり(笑)。
毎年日経新聞の見開きに、当時所属していた国内生保会社の所属MDRT会員の顔写真と名前が一覧で載るんです。
そこの一番最後に、自分の顔写真を貼って、「次は私だ」ってやってました。
Q)まだ当時のものはもってますか?
あるかもしれないです。
Q)去年の福岡大会は行かれたんですか?
行きました!
もう感動でしたね。
ファーストタイマーに対して、スタッフの方々みなさんが並んで花道のように出迎えてくださって。
「MDRTへようこそ」というステージを見た時に感情が溢れましたね。
喜びと、感動と、ついにここまで来たんだっていう。
Q)また行きたい!ってなりますか?
毎年来たいと思いました。
Q)登録しても行かない方もいらっしゃるようですが。
絶対行くべきですね。
その場でしか味わえない感動とか、その場の雰囲気に自分がいることで、達成した人達の中に入ることで、より上昇気流に乗っていく雰囲気を味わうのは、あの場でしかできないかなと。
あの空気感は独特だと思います。
Q)普通の人では味わえない場という意味では、航空会社の入社式とかもそうだと思います。
客室乗務員として出た入社式ときは、そこはいるべき場所というか、そこにいることが当たり前というか、絶対に客室乗務員になると決めて受験して取り組んできていたので、そこにいて当然というか。
もちろん嬉しいんですけど、自分は絶対それになるという想いでやってきたので、そこにいることが自分の中では自然な感覚だったんです。
でもMDRTの時は、言ってしまえば自分ではやりたくないという入口から入っていて、大変な思いをして掴み取ったという、ちょっと別の感覚でした。
その分、格別でしたね。
Q)MDRT達成する前と後で変わったことはありますか?
まずは、名刺に本物のマークがついたことですね(笑)。
堂々と名刺を出せるようになりました。
胸を張って出せるようになりましたし、先生とおっしゃって下さる方もいらっしゃいます。
「設楽先生とお約束してるんです」とか、メールでも設楽先生と書いてくださいます。
自分が先生と呼ばれる日が来るなんて思いもしなかったですね。
Q)先述のアファメーションではやっていなかったですか?
そこまではやっていなかったですね。
ありがたいことに、当時の自分がしていたイメージの遥か先まで来ている状況ですね。
Q)自分の期待を超えてくるお客さまの反応って嬉しいですよね。
嬉しいです。
例えば、少し前の自分だったら、もし先生と言われても、「私そこまで知識も経験も達していないんです」って自信が無かったと思うんです。
でも今は、素直に嬉しんいです。
先生って呼んで下さる方がいるんだって、素直に喜べます。
もちろん、まだまだ発展途上ですけど、MDRTになったことで、今までのような委縮はなくなったと思います。
Q)仕事も楽しくなったんじゃないですか?
そうなんです。それが一番!
やっとこの仕事が楽しいなって思えるようになってきました。
Q)そんな自分に誇り持てた感じがしますね。
します!はい。
取り戻しました。
Q)MDRTになってから、「保険屋か」と言った方にお会いになられましたか?
まだです。会いに行きたいです(笑)。
ゴルフのコンペで時々お会いするので、今度お話しようと思います。
ご本人はそんなつもりもないし、馬鹿にしたつもりではないと思いますけども、私にとってはモチベーションになりましたからね。
「ありがとう」と伝えたいです。
感謝です。
本当に感謝しかない。
そう思うと、全ては気付きのために起きているんだなと思います。
気付きを与えるために。
氏神様にもお礼参り行かなければですね(笑)。
Q)ポイント、ポイントで人との巡り合わせがあったような感じがします。
私、それしかないんですよ。
何かあると、救世主が現れてくれて。
私の力じゃない。
導かれているんです。
Gift Your Lifeに入ってよかったなと、本当に思います。
Q)MDRTが達成できたのは、保険代理店だからだと思いますか? Gift Your Lifeだからだと思いますか?
Gift Your Lifeだからです。断言できます。
一社専属の保険会社から移ったばかりの時の私は、本当に保険屋だったんですね。
それで何をしていいか分からない時に、東京中央支社のみなさんに、本当に助けていただいたんです。
お一人お一人に支えていただいて、今があります。
Gift Your Lifeだから、東京中央支社だから、達成できたものだと思います。
MDRTの集計の時も、実は自分ではよく分かっていなくて。
集計してもらって、「大丈夫だよ!入ったよ!」って言っていただいたときに、オフィスで号泣してしまいました(笑)。
Q)今後の目標としては?
MDRTの終身会員です。
10年連続で達成し続けたいです。
継続して入り続けることを目標としたいです。
続けるって、簡単なようで、努力が無いと、難しいですよね。
そして10年後のMDRT終身会員になるときにも、Gift Your Lifeにいます!
浮気はしません(笑)
今は、ほぼ自己マーケットでやらせていただいているのですが、せっかくGift Your Lifeにいるので、今後は業務提携やセミナーにも挑戦して、セミナー講師としてデビューもしたいと思っています。
お客さまには、「80歳までこの仕事を続けるのでよろしくお願いします」って言ってます。
80歳よりも前に海外の島に移住して、ビーチでリモートで仕事ができたらいいなと思っています。
Q)この業界に入った頃は、そんな夢を持てるようになると思っていましたか?
全く思っていなかったです。
このお仕事に出会って、色んな方々に出会って、Gift Your Lifeに来て、東京中央の皆さんがいたからこそ、持てるようになった夢だと思います。