目の前の人を看て、思い、行動する。 / 金沢支社 西森 康博

Q)初めてMDRTを達成したのはいつでしょうか?

2023年度の今回が初めてです。

Q)Gift Your Lifeへ入社してどれくらいでの達成でしょうか?

昨年、2022年の7月入社なので、入社半年でMDRTいっちゃいました(笑)。
7月、8月、9月、10月、11月で、実働5か月ですね。

前職の外資系保険会社に入ったのが2018年で、そこが初めての保険業界だったので、この業界に入って4年目で達成できたことになりますが、前職での挙績なしで、基準に達することができました。

Q)それってすごい事ですよね。

お客様に支えていただき、達成することが出来ました。
前職時代からのお客様ももちろんいらっしゃいますし、Gift Your Lifeに入社したことで、損害保険をお預かりしたお客様から、「じゃあ全部、西森君に任せたほうがいいね」となって生命保険につながるという形も増えました。
そういうパターンが増えたのも短期でMDRT達成できた要因だと思います。

Q)前職では損害保険の取扱いは無かったんですね。

そうなんです。
前職の外資系保険会社では、個人の生命保険一本だったので。
そういった意味では、間口が広がったというか、一社専属から保険代理店にきて、広くお客様のニーズに応えられるようになったのが、挙績を続けていられている一因でもあるかなと思います。

Gift Your Lifeに来て初めて損害保険をやり始めたので、まだそこまで損害保険の取扱いが多いわけではないですが、例えば法人のお客様で、社用車の自動車保険険、あと建物の借家賠とか火災保険をお任せいただき、それが法人保険をお預かりする取り掛かりになったりという事もありました。
社内リーズの『火災保険のGift』からお客様になっていただいた方もおられます。
北海道の法人のお客様とか。
私がもともと看護師だったので、訪問看護ステーションを立ち上げるんだというお話をされて、すごく話が合ってお任せいただけたという事もありました。

Q)もともと看護師を長年やっていたという事ですが、看護師を志したきっかけは何だったのでしょうか?

看護師は11年くらいやってました。
きっかけは母の病気でした。
私が中学校の時に、母が乳がんを患って闘病していたんです。
その時に看護してくださっている看護師さんが、すごく私の中で格好よく見えて。
その看護師さんみたいになりたいなと思って、高校卒業して看護学校へ進んだという感じです。

Q)看護師になってのやりがいや大変さとかはどんなものがありますか?

大変なことは、もちろんたくさんありました。
たくさんありましたが、今でも看護師という仕事は大好きです。
今でも看護協会に登録していて、何か災害などがあった時には私のところにも連絡が来るようになっています。
ほとんどの看護師さんは病院勤務を辞めてしまうと更新もしないので、所在不明で潜在看護師みたいになってしまうんですけど、私の場合は所在をちゃんとはっきりさせて、富山県の看護協会に個人会員という形で身を置いています。

だから、災害時には活動もできますし、お医者さんからの指示があれば、注射などの医療行為もできます。
お客様とお話ししていてよくネタにも使うのですが、「今、急に倒れてしまっても、安心してください。ずっと心臓マッサージしているので、 私と一緒にいる間は心臓止まりませんから」って(笑)。

やはり、実際に入院されている方と長い間触れ合ってきたので、病気になった時に何が大変かとか、ご家族が介護状態になった時に大変なことというのが、私自身、患者さんの経験を通して知っているので、「実は看護師の時にこんなことがあって」という話をすると、お客様にとっても分かりやすいのだと思います。

これは前職の外資系保険会社に入社する時、当時の支社長に言われたことなんですが、私が看護師として医療の現場にいて100人以上の方を看取ってきたというのは、他の人にはない感性の部分だって。
多くの保険募集人が「あなたが亡くなったら」という話をされるのですが、実際にお亡くなりになったところを見たことがない方が多いけど、100人以上を看取ってきた西森さんだからこそできる大切な、伝えられることってあるんじゃないですかという風に言われて。

Q)実体験があるか無いかないかって違いますよね。

そうですね。
やはり私自身、看護師の時に、働き盛りのお父さんが亡くなってしまった話とか、17歳の女の子を亡くしたお母さんの話とか、色々あって寿命を全うされない方もたくさん看てきました。

そんな中で、現実を受け入れられないけども、それでも家族の生活は続くわけなので。
そういったところというのは、すごく、なんというか、、、
看護師では、お金の部分は助けてあげられない。
寄り添ってあげることはできるけど、病院を退院してしまったらそこで終わりというか。

でも、この保険というお仕事は、病気も何もない時からずっとお客様といることが出来て、万が一の時には具体的に ”お金” という形で助けてあげることが出来て、何事も無かったら、「よかったね」って笑い合っていられるという、そういう素敵な仕事なんじゃないかなと、今は思ってます。

Q)何かそういう風に思うようになったキッカケってあったんですか?

私の場合は、入院したり、何かあった時にお客様からご連絡をいただくことが多いんですが、そんな時にそういう風に思いますね。

「子供が生まれました」というご連絡をいただくことはあると思うんですけども、私の場合、「妻が妊娠しました」というご連絡をいただくことがあります。
これって、結構レアなケースだと思うんです。
「妻が妊娠しました」=「保険屋さんに連絡しないと」とはなかなかならない(笑)。

それもやはり、「つわりでも入院したら、重症悪阻という病名がちゃんとついて、入院保険払えることがありますよ」というお話をお伝えしてあるからだと思います。
例えば、おなかを切るだけではなくて、病院の診療報酬の点数にもよるんですが、吸引分娩とかになって、ちゃんと入院扱いになって点数がついていたら、入院給付金が支払われる可能性がありますからねということはちゃんとお伝えしてあるので、「入院したら」、「何かリスクが起きるかもしれない」と思った時に、西森を思い出してもらえるという一つのきっかけになっているんじゃないかなと思います。

あとは、健康相談の窓口として使ってくださることも少なくないです(笑)。
まだ死亡時というのはないんですけども、ご病気になられて入院されてしまった時は、お医者さんによっては、提出する書類が遅いパターンとかがあるのを知っているので、入院されたお客様からお電話をいただいて、病状を聞いて、必要な書類をすぐにご用意したり(笑)。

Q)医療現場にいたという信頼度は大きいんじゃないですかね。

医療現場にいた時も、一つの科だけではなくて、脳神経外科、循環器と、手術室、精神科、内科、とたくさんの科を経験させてもらっているので、概ねの病気と薬の名前は分かります(笑)。

最近は一つの科に長く看護師さんを置くようになったようですけど、 私の時代というのは、まだ色んな科をたくさん経験させて、どこの病棟でも替えの効く看護師を育てようっていう(笑)。
体よく言うと、ジェネラリスト(笑)。ジェネラリストを作ろうという時代だったので。

やっている本人はきついんですけどね。
やっと仕事を覚えたと思ったら、人間関係がゼロになって、これまでの知識もあまり使えない環境に行くわけなので(笑)。
本当に厳しいんですけども、どの科へ行っても思っていたことは、ちゃんとその病棟にいたよと言えるように頑張ろうって。
そうやって2年、3年と勉強したことが、今となっては、 私の中での財産になっているんじゃないかなと思ってます。

薬の勉強もしましたけど、実はお薬の知識って、看護師さんは専門外なんです。
でもその時の薬の知識で、例えばお客様と話しているときに、「この病気の時に、この薬とこの薬を出されますよね」という話やその薬の作用の話をすると、「それ、いま私出されてます」という答えが返ってきたり(笑)。

Q)何の薬か分からずに飲んでいることも多いですよね。

そうですね。
そこから保険に話を戻した時に、
「中身が何か分からないで保険に入っている人が世の中にはいます。それは自分が何の薬を、どういう理由付けで処方されているのかを分からずに飲んでいるのと同じなんですよ。」
というお話をさせていただきます。
「怖くないですか?」って。

そうするとお客様は、「確かに確かに」って。
「だいたいみんなこの薬飲んでるから、あなたもこの薬でいいよねという出され方をしたお薬と、あなたの症状はこうで、きっとこうなる可能性があるから、このお薬を処方しておきますねと説明されたお薬だったら、後者の方が安心できませんか?」というお話をさせていただいて、「保険もいっしょなんですよ」と付け加えさせていただいています(笑)
「だからオーダーメイドって大事じゃないですか?」って。

Q)その通りですよね。看護師をやっていて、そこから外資系保険会社に行くきっかけは何だったのでしょうか?

きっかけは、当時の看護師の先輩がその外資系保険会社の加入者、お客さんだったんです。
それで、薬を分けてる時に話をされたんです。「西森君保険入ってる?」って。
当時はもう妻子がいたので「一応入ってます」と答えたんですが、「俺の担当の話聞いてみてくれない?」って言われ、変な話だったら断る自信があったので「分かりました。聞きますよ」って。
てっきり、保険のおばちゃんが来るのかと思っていたんですけど、バシッと決めた、パリッとしたおじさんが来て、こっちはジャージ姿で。
思っていた状況と全然違ったんですよね(笑)。

そのお話を伺った時に、自分に足りないものを組み立てて考えてくれる人っていいなって思ったので、その保険に加入したというのが、まずその外資系保険会社とのお付き合いの始まりでした。
お付き合いをしていく中で、その営業マンは紹介で回っているんだという話をされました。だから西森さんからお客さんを紹介してもらわないと、 私、保険営業マンとしてやっていけないみたいな。
「なるほどなるほど。だったら、紹介出さないとだめだな」と思ってしまったんですよね。
その人は2か月か3か月に一回来ていたんですけど、私は常に4人くらいストックしていて、来たら誰か紹介できるように準備していたんです。
そういう事を続けていったら、元々売れている方ではあったんですが、業績も伸びていって、所長になったんです。担当のライフプランナーが所長に。
そうなった時に、一番最初に私に電話をかけてきてくれて、お伝えしたい話があると言われました。
「看護師という仕事から、すごく大きな冒険になるけど、生命保険という仕事を一緒にやってみないか」と誘っていただきました。

で、断って。
いや、無理ですよ(笑)。

Q)では、看護師という仕事に不満があって転職を考えていたわけではないんですね?

全くないです。
全くない。
本当に、看護師には、 私の看護師としての夢があってやっていたので。

やはり、患者さんを笑顔にするには、スタッフから笑顔になろうよという事で、病棟の人たちとも仲良くするようにしてましたし。
おかしいしきたりとかシステムがあったら、こういう風にすればいいんじゃないかと提言したり。
誰よりも頑張って働いている自負もありましたし。
やらなくてもいい仕事、誰がやってもいい仕事は 私の仕事だな、という風に思ってやっていたので。
お茶くみとか、ゴミ捨てって、誰がやってもいい仕事だけど誰もやらないじゃないですか。
そういう仕事は 私の仕事だと思っていたので。

Q)それは、ご両親の教えとかですか?

これは、尊敬する看護師の先輩から教えてもらったことで、2つあるんです。

まず一つは、もし自分が入院したときには、自分に看護されたいなと思うくらいの看護師になりなさいって。
なるほどと。たしかに、いまここで怠けたり、ここで怠けたら、俺は自分に看てほしくないなって思うから、頑張ろうって思えるし。

あともう一つ教えてもらったのは、誰でもできる仕事で、誰もしなくていい仕事というのは自分の仕事だと思ってやると、周りがすべてうまくいくよという風に教えてくださったのが、その先輩だったんです。

それは看護師じゃなくても、どんな仕事にでも言えることだなと思っていて。
保険のお仕事をされている方って、保険を売るだけが仕事じゃないって皆さん言うじゃないですか。
では何をしてあげたらいいのかな、お客様のお困りごとって何かな、と考えた時に、保険営業の仕事って、お客様に元気と勇気をお届けする、アンパンマンみたいな感じなのかなって思ったんです(笑)。

だから、お客様と話していて、保険の営業ってそんな存在だと思っているんです、何かお困りごとはありませんかという話をしたときに、実はこういう事で困ってるんだよねとか、仕事の発注が少なくて困ってるみたいな方に対しては、 私のお客様同士をおつなぎしたりとか、私が紹介してもらうだけではなくて、お客様同士をご紹介してつなぎ合うという、そういう事もやらせていただいています。
そういうことをやっていたら、どんどんお客様が喜んでくださって。
ただの保険屋さんじゃないと。
そういう付加価値が西森にはあるから、保険は西森に任せるねって言ってくれる人が増えていった気がします。
本当にありがたいです。
それが無かったら、自己マーケットだけではやっていけていないと思います(笑)。

そうは言っても厳しい保険の世界じゃないですか。
なので、せっかくGift Your Lifeにきて、リーズもあって、セミナーもあって、それを主軸に、という事も出来ると思うんですけど、私自身としては、私のお客様が私を信頼してくれて、つなげてくださっているお客様で、どこまでやっていけるのかというのも、MDRTを目指そうと思った時に掲げた目標でもあったんです。
せっかくGift Your Lifeという会社に入ったのなら、Gift Your Lifeに貢献するためには、私の今までのお客様との付き合いを踏まえて結果を出したいなというのがあったので、まずは自己マーケットからやってみようと思ったんです。
それが、今も続いているという感じですね。

Q)外資系保険会社の時には達成できなかったMDRTをGift Your Lifeでも目指そうと。

そうですね。
外資系保険会社にいた時もMDRTというのは目標に掲げて、目指してはいたんですけど、やはり惜しいところまでは行くけど、達成できなくて。
基準がコロナ禍のものだったとしても、当時は届かなかったんです。

でも嬉しいことに、Gift Your Lifeに入社して取り組んだ結果、コロナ前の基準でクリアすることが出来たのです。
そこは自分の中でも、良かったなって思います。

Q)外資系保険会社時代に、惜しいところまでは行くけど、達成できなかったというのは、何が原因だったのでしょうか?

コミッション形態とか、そういうところもあると思います。各会社によるとは思いますけど。
でも、保険代理店というのは全員が公平に振り分けられる。これも会社によるとは思いますが。
一部の売れてる人たちだけに、ボーナスを与えるのではなくて、ちゃんとコミッションが決められていて、その枠の中でやれているから、私のために、私を信じてくれたお客様のために、手数料という形でちゃんと私に入ってくるという、すごく紳士な仕組みだなと思っています。

実際、そこをちょろまかされていると思うと嫌じゃないですか(笑)。
めちゃくちゃ売れてるエグゼみたいな人が億とか稼いでいて、 私は数百万だった時に、その億の中には絶対に 私が売ったいくらかが入ってるわけですよ(笑)。
そう思ったら、Gift Your Lifeにきて、給与形態が変わったというのはとても良かったなと。

あと、取扱商品が多くなったので、様々な、お客様のニーズの取りこぼしが無くなったというのが大きいと思います。
一社専業だとメーカーなので、「ちょっとうちの商品ではカバーしきれないんですけど、、、」という時も正直ありました。
でもGift Your Lifeに来てからは、「調べてくるので、待っててもらえますか」って、勉強して、この保険商品だったらこの人のニーズ、キャッチできるなというのが、必ずどこかにあるので、それをちゃんと勉強してお客様に提案することが出来ます。
それでお預かりが出来たら、お客様の役にも立てて、自分の数字にも乗ってくるので。
まじめにやった分だけ、報酬に乗ってくる仕組みというは、代理店の良い部分なんじゃないかなって思いますね。

Q)では目標達成のために、特に意識して活動量を増やしたとかではない感じでしょうか?

活動量は増えましたね。
増やしたというより、結果的に、増えた。
お客様のところに訪問する機会が増えたので。

例えば、損害保険でも自動車保険を預かっていたら、「やわやわ1年経ちますけど。更新なんですけど」って、お客様のところへ行く理由ができるじゃないですか。
それでお客様とお話ししていると、やはりその、ちゃんと行く理由があって、更新のために行っているので、心を開いて色々お話ししてくれるので、ニードが変わっていることも多いです。
実は妹が結婚して、とか。実は、弟が看護師になって、ちょっと西森さん話してくれませんかとか、というお話もありました。
そういうネタをもらいに行きやすくなったというか、そういう機会がとても増えたと感じています。

活動量を増やすための目標ということではないですが、Gift Your Lifeに来てからMDRTを達成するための手段として ”3W50週” に取り組もうと決めました。

Q)3w50週。これは結構大変ですよね?

大変ですね(笑)。
やはり1週間に3件の契約をお預かりして来るというのは、私にとっては結構ハードルが高くて。
外資系保険会社の時も取り組んではいたのですが、27週くらいで切れてしまっているんですよね。

Q)前職でもチャレンジしていたんですね。

チャレンジしてたんです。
でも挫折しちゃって。
ほんとに辛すぎて。

Q)3wというのは自分で設定する目標なんですか?

3wは、ほぼ強制なんですけど、当時いた外資系保険会社では。

Gift Your Lifeで3wを続けているのは、金沢支社の奥村支社長がトップを走り続けているわけで。
奥村支社長も同じ外資系保険会社出身の先輩なので、私もそこで学んできたことを再度チャレンジしようと。
せっかく違うところにきて、頑張るとするのであれば、ちゃんと頑張る目標を明確にしておこうかなと思って、50週間3件のお預かりを、絶対に預かり続けると決めました。
何があっても、みたいな。
絶対に預かると決めてしまって、強い意志でやりました。
今は切れてしまったんですが、50週以上やりました。
55~56週くらいだったと思います。

Q)1年ということですよね?

はい。まる1年。
1年以上お預かりし続けたというのが、行動の見える化にすごくつながっていたなと思います。

Q)実際に1年って長いじゃないですか。

長いです。

Q)どうしようという時はなかったんですか?

もちろんありました。
そういうときは、友達とか、外資系保険会社時代の同僚でもう保険業界を辞めてしまった友人とかを頼りました。
「実はもう一回3wやっててさ」という話をすると、その本人も3wがどういうものか、血尿が出るくらいキツイことだというのが分かっているので、「お前頭おかしいんじゃないか」って(笑)。 「またやってんの?w」って(笑)。
それで結構、応援してくれるんですよね。「西森がまた3wやってるらしいよ」って。
高校を卒業してやっと楽になったのに、また部活のシゴキやってるみたいな(笑)。
それくらいのテンションなんですよ。
それで、「じゃあ、仕事先の感じのいい人、紹介するよ」って言ってくれたりとかで、助けてもらいました。

前職で頑張った友達で、近い年次の人たちというのは、もう保険業界を辞めてしまっている人が多いんです。
別のお仕事されていて、会社員されていたり、配送屋さんされていたり。
色々いるんですけど、そういう人たちがすごく私のことを応援してくれたというのは、大きかったなと思います。

そういうことがありながら、何としてもやるって決めて、動き回って、一年間動き続けていると、今度はそれが習慣になってくるんです。
なので、事務所で仕事しているとか、家にいるというのが気持ち悪くなっちゃって、誰かのところに顔出しに行こうかなという気分になってしまうんです。

そんな風に行動していると、外資系保険会社の時ってほとんど法人契約というのがなかったんですが、Gift Your Lifeに来てからは、法人のお客様というのを自己開拓でお預かりできるようにもなってきました。
今までは行きたくても行けなかった、行き方が分からなかったというのも、活動をすることによって、法人の代表の方とか、社長さんとかにお会いできる機会がとても増えたなという実感があります。

Q)習うより慣れろという感じですね。

そうですね。
とある社長さんに「根性と根気」という話を聞いた時に、本当にそうだなと思ったことがあって。

「根性があるやつというのは、一瞬ばーんって、ひと月だけがんばれるって感じなんだけど、根気のある人って3か月以上頑張る人なんだ。
根性で成功した人はいないから、やはりすごいなという人は、根気のある人だよね。」
というお話しを経営者の方に聞いたんですけど、なるほどなって。

たしかに自分は根性タイプなので、根気っているよねって、気付いた(笑)。
根気、大事だなと思って(笑)。
やっぱり経営者の方って言う事が深いなって、教えてもらってるなって、いつも思います。

Q)外資系保険会社の時は個人のお客様がメインだったんですね。

9分9厘個人でした。
結構大変でしたね。「ほけんの窓口行きます」って言われて、そうですかしか言えない(笑)。
それはそうですよね、他の商品も見たいよねって思いますもん(笑)。

でも今は自信をもってお客様に言えるんです。
「正直 私の提案する商品は、ほけんの窓口の人でも作ってくれますよ」って。
「でもそこに担当者がいて、あなたと一緒に伴走してくれる、何か困った時にすぐに飛んできてくれて相談に乗ってくれる、そんな担当者がつくのとつかないのとで、値段が変わらないとしたら、どちらがいいですか?」というお話をすると、「やっぱり担当者とか、保険の使い方分かってる人って大事だよね」ってお客様が言ってくださるんです。

Q)先ほどのお話もそうですが、考え方やこの仕事の価値観というのは、ご自身で編み出されたものなのでしょうか?教えがあってのものでしょうか?

教えがあったわけではないですが、一社専業のメーカーでやっていると、正直、商品負けすることもあるんです。やっぱり。
商品で決めようと思っている人は、自分でほけんの窓口に行かれちゃうんですよね。

そうなった時に、商品ではなく、”担当者として” お客様に選ばれることによって、他社との比較がすごく少なくなったりとか、ゼロになったりとか。
ちょっといい保険の話聞かないかとなっても、「うちは西森さんという人に任せているから、保険の話は聞きません」とお客様が言ってくださったりとか。
なので、商品として売るよりは、西森という人間から入って下さいという風にプレゼンテーションの時にはお伝えするようにしています。

時代によってもっといい商品なんて、いくらでも出てくるじゃないですか。
それでも 私が販売したものを大事に持ち続けていてくださる理由の一つに、私という担当者がいたというのはすごく大きい事なのかなって。

だから私が、「会社を退職しました。次はGift Your Lifeという会社に行くことになりました」というと、「保険も扱ってるの?」って聞かれ、「もちろん生命保険もがんばらせてもらいたいと思うんです」と言うと、当時仲良くさせていただいていたお客様が「もう一回ニッシーの話聞きたい」って言ってくださるのは嬉しかったですね。
「お前を選んだよ」って言ってもらえて気がして、すごくありがたかったです。

Gift Your Lifeに来てからも法人のお客様には、「御社と共に生きるも死ぬも一緒、という気持ちで担当させていただいています」とちゃんとお伝えさせていただきます。
この前も、商談が終わって 私がパソコンをたたんだ時に、代表の方が、「実は社員にも言えない相談があって、広告費の事なんだけど」って話してくれて。
「いま月々広告費がこれくらい出ていっているんだけど、これって西森さんどう思いますか?」って会社のキャッシュのフローのお話をしてくださる、それくらいまで契約前と契約の後で距離が詰まっているなというのを、感じます。

Q)初めて保険業界に入った時というのはどういう感じだったのでしょうか?

ちょーヤベーやつです。ちょーヤベーやつ(笑)。
もう契約するまで帰しません、みたいな(笑)。

3wの10週目くらいだったんですけど、10週も結構きつい状況で。
今日契約するつもりないんですという話をされていて、それも前職の友達に話をしていて、病院で。
話をしていたら、消灯の時間になっちゃって病院のロビーの照明が落ちたんです(笑)。
それでちょっと場所変えようかとなって、自動販売機のところに移動して話をしていて、「明日にでも事故で無くなってしまうかもしれないから今日この場で決めてほしい」という話を1時間くらい、ずっと自動販売機の明かりでの前で粘ったんです。
それでご契約をいただいたりとか。
事と次第によっては通報されるんじゃないかと思いますよね(笑)。

その人も会社が変わった時に、「また話聞かせてよ」と言ってくださるので、その後のフォローは悪くなかったんじゃないかなと思っています。

Q)外資系保険会社に入ってすぐ10週とかやっていたんですか?

そうですね。切るに切れない状況になっていて。

Q)それもすごいですね。営業未経験で入ってそのハードルは高くなかったですか?

人間関係だけで序盤は行けていたんだと思います。
ただ、私自信がお客さん時代に結構な数の紹介を出していたので、みんなも紹介くれると思うじゃないですか。
みんな自分みたいな感じだと思うから。
でも紹介をもらう側になって、気づきましたね。紹介って出ないんだなって(笑)。
あれ?みたいな。

「所長、紹介が出ないんですけど」って言ったら、 私を採用した人に「あぁ、気付いちゃいましたか」みたいな(笑)。
「西森くん、めちゃくちゃ特殊なんだよねw」って(笑)。
「みんな西森さんみたいな人だったら、保険屋さん辞める人いないよ」って。

そこからが、創意工夫につながったというか。
最初は保険嫌だと思っている人を、こちらに振り向いてもらって、お話を聞いてもらって、尚且つご契約をお預かりして、その後ご紹介もいただくには、どういうプロセスで話をしなければいけないかという勉強を、滅茶苦茶しましたから。
そこに関してはですね、血のにじむような努力をしましたね。

Q)そこのノウハウは一生使えますね。

そうですね。
そこに関しては、どの商品が出てこようが、一回目お話しする内容としては、生命保険についての一般的な知識だったり、問題提起だったりするので。
要は不平不満が無い状態ですかという確認作業でしかないので、そこでめっちゃ満足、大丈夫って言う人には、そんなに強気にはいきませんし、ある程度お客さんも選定できるというか。

一番うれしいのは、お客様から連絡いただいて、「実は私の大切な友達が保険を選びたいって言ってるから、西森さん一回お話ししていただいていいですか」というありがたいご紹介のお電話がかかってきた時ですね。
間違ってないなって、本当に嬉しくなります。

Q)紹介を生む仕組みを自分で作れたのはすごいですね。

コツというコツは、、、
それこそ根気の話だと思うんですけど、当たり前のことをちゃんとやることが大事だと思うんです。

例えば、商談のときにお客様に「寒くないですか」とか、お子さんを抱えて商談してくださる方には、事前に、30分前くらいに行って、「実はベビーカーの方が来られるんですけど広い席ありますか」って、場所取りしておくとか。
誰でもできるけど、やってない人って結構多いと思うんですよね。

Q)さっきのアレですね。

そうです。そういったところとか。

あとは、ハガキ。
今の時代、SNSとか発達していて、DMって呼ばれるものって多いじゃないですか。
ただ、どこもかしこもDM送ってくるところ多いし、LINEとかも流されちゃうことってあると思うんですけど、私はハガキを送るようにしていて、定期的に。
売り込みの全くない、お元気ですか?とか、お変わりありませんか?とか、暑いですねとか(笑)。
今の時期であればハロウィンの絵柄で送ったりとか。

もう3年くらい続けています。
お客様もそれを喜んでくださってるみたいで。
嬉しかったのは、去年のハロウィンの時期にお客様のところに行ったら、お家のハロウィンの飾りつけがしてあったんですけど、 私が送ったハガキが壁に貼り付けてあって、その飾りの一部として使ってくださっていたんですよね。
それを見た時に、こういう風に思ってくださるお客様っておられるんだなって嬉しくなりました。
少し遠方のお客様だったんですけど、「遠方にいるからこそ、ハガキが来た時に、何かあった時には西森さんに相談しようかなって思い出せる」と言っていただいた時には、有難い気持ちになりました。

Q)ハガキは誰かに言われることなくやり始めたんですか?

そうですね。
結局、どこぞのセミナー行ったときにも、ハガキやった方がいいよっていう話はあると思うんですけど、知っているというのと、やっている人と、やり続けている人というのは、どんどんどん母数が小さくなっていくので、やり続けている人って、実は少ないんじゃないかなと持っています。

知っている、やっているけど続かない人、やり続けている根気のある人。

で、これはハガキなので、1年に3~4回、お送りできるわけじゃないですか。
お誕生日ハガキも含めると、お客様のところに、お一人だったら1年で3枚から4枚。
ご家族がいたら、5枚とか7枚とか届くわけじゃないですか。
それって 私が訪問しているのと何ら変わりないなと思って。

Q)年間で5~6枚来ていたら、結構潜在意識に残りますね。

そうですね。
ポイントはすべて手書き。
大事なのは売り込みが一切ないこと。

何気ない時に届くハガキって大事かなと思っています。
自分がもらった時にも嬉しいので。

証券ファイルに、ハガキをとっておいてくれる方もいて、たまに見せられてドキッとします(笑)。
去年のハロウィン何書いたっけなとか、同じこと書いてないよなとか(笑)。

たぶんGift Your Lifeでもやってる方おられるとは思うんですけど。
ただ、やり始めたらやめられない(笑)。

Q)ちなみに外資系保険会社からGift Your Lifeに移るキッカケは何だったのでしょうか?

キッカケは、 私を外資系保険会社に採用した支社長が、東京で所長をやっていた時に採用した人Aさんがいて。
このAさんはもう、その外資系保険会社を辞めて、自分でセミナー会社をやっていて。
このAさんと豊福代表が知り合いだったんです。
それで、このAさんのセミナーを東京で受けた後に、ご紹介いただいて目黒の喫茶店で豊福代表とお会いしたのが、Gift Your Lifeとの最初の接触でした。
もともと同じ外資系保険会社出身という事もあるかもしれないですが、豊福代表とお話しして、保険感とか働くという事に対しての姿勢とかにすごく共感したし、社員を大切にされているんだなというのをとても感じたので、Gift Your Lifeいいなって思いましたね。

Q)それは一社専属ではなく、保険代理店への転籍を考えていたタイミングだったということでしょうか?

そういうわけでもないんです。当時は一生その外資系保険会社で働いていくと思っていたので。
ただ、お客様から、火災保険とか損害保険とかもまとめてニッシーに見てほしいと言われた時に、断らなければいけなくて、知り合いの保険代理店の人を紹介してあげたりとかしかできなかったことも増えてきた時期ではありました。

Q)その時に他の保険代理店は検討しなかったのですか?

全く見なかったです。
一番最初に豊福代表に会って、ビジョンの話や、過去の失敗体験などを、本当に包み隠さず、それでいてざっくばらんにお話ししてくださって。

そんな方って、なかなかおられないと思うんです。
都合の悪いところを隠すとかが全くなくて、実はうちの会社こういう変遷があってという事も全部話してくださって。
西森君が入社した後に色々エゴサしてから分かっても困るからって。
こういう事があったんだよって全部言ってくださって。
それでも来てくれるんだったら、西森君、一緒に働きませんか?っていう風に言ってくださって。

そこまで言ってくださる代表に会っていて、この話を聞いた後に、色々代理店はありますけど、 私自身が、他社比較されるのが好きではないので、人で入るから、だから、自分がやられて嫌なことはしないって決めているので、だから、保険代理店に行くならGift Your Life。
富山県から県マタギにはなりますけど、当時はリモートとかも大丈夫だったので、そういうのもあって。
そこに迷いはなかったですね。

Q)それはいつ頃だったんですか?

2021年の秋口くらいだったと思います。
2022年7月入社なので、代表にお会いして入社まで半年ですね。
もともと転職する気があったわけではなかったので、なかなか腰が上がらなかったんですけど、損保でもニッシーに預けたいという方が過半数を超えてきたので、そのタイミングで行こうかなって。

Q)最初に会ってからと考えると早いですよね

そうですね。最初はぜひ保険代理店にというよりも、そういう会社があるんだという感じで、豊福さんいい人だなというので終わっていたんですよね。
ただ、もし保険代理店に行くならGift Your Lifeしかない、というくらいでずっとその外資系保険会社でやっていた感じです。
なので、もし誘われていなかったら、まだそこにいたんじゃないですかと思います(笑)。

Q)特に人間関係がとか、仕事が嫌でというわけではないんですか?

そうですね。誰か知り合いが先にGift Your Lifeにいたからとかいう事でもないですし、本当に前知識ゼロの状態でした(笑)。

Gift Your Lifeって、キックオフミーティングとかで全国から社員が集まるじゃないですか。
私も前回参加したときに、福岡支社の西田さんとウマがあってお話しさせていただいたんですが、法人保険をメインにやられている方だったから、相談したらアドバイスくれて。
それで、実際に法人のお客様のお預かりができたんです。

なかなか保険代理店だと、他支社との交流ってそんなに強くないイメージがあって。
そこはやっぱりGift Your Lifeならではというか。
それこそ勉強会やろうよって言ったら、時間決めて集まってやったり。
そういうのはすごくいいなと思います。
Gift Your Life来てよかったなって。
たぶんまだ、外資系保険会社にいたら法人保険はやれていないと思います。
教えてくれる人もいないので。

Q)環境って大事ですね

環境大事ですね。すごく大事ですね。

Q)セミナーや、Gift Your Lifeらしいことをやっていないとおっしゃっていましたが、自分にフィットする部分をうまく取り入れているんだなと思いました。

そうですね。
でもせっかく金沢という北陸3県の真ん中の県にいるんだったら、やはりセミナー事業というのを、いまは金沢支社の星野さんがやられていますけど、積極的に補助していきたいなというはあります。

看護師の経歴を、Gift Your Lifeに来てからフルに活用できているなと感じているので、「元看護師護師の経歴を、Gift Your Lifeに来てからフルに活用できているなと感じているので、「元看護師が語る、実際に10年以上認知症患者と触れ合った話」とか、需要あると思うんですよね(笑)。

認知症って中核症状と周辺症状というのがあるので、それが出る事によって、その人は悪くないんですよ。悪さをしているのは病気なので。
ただ、家族はそれを病気として見れなくて。感情が乗っちゃうんです。
今まで大切に育ててくれたお母さんが自分に対して暴力を振ってきたりとか、考えられないくらいしっかりしたお母さんだったのに、汚物をその辺につけてしまったりとか。
家族は、そんなの受け入れられないんですよ。

そうなった時には、適切な距離を置く時間というのがどうしても必要になってくるんです。
適切な距離を置く時間って何かというと、デイサービスを利用するとか、例えばショートステイ。
ちょっと短いところで心を休める期間というのが必要になってくるんです。

その心を休める期間を得るにも絶対的にかかってくるのは、この資本主義社会ですから、お金なんです。
そうなった時に、お金っていうのを解決手段のひとつとして、お母さんが元気なうちから備えておく、介護保険というのがあるんですよという事は我々がお伝え出来る事なのかなって。

人を大切にしたいという想いを証券に込めるの』が、我々募集人の務めで、大事なことだと思っています。
なので、霊感商法になってはいけないと思うんです。
こんな未来があるから保険で備えましょうではなくて、いい記憶としてお母さんを大切にするために、こういうものを持つ方法があるという。

Q)根底には人を大事にしたいという想いのようなものがあるように感じます。

そうですね。
幼少期は転勤族で、友達が少なかったんですね。
神奈川県で生まれて、千葉県行って、兵庫県行って、富山県に来ているので。
富山県に来たのが中学生のころなので、2~3年くらいで引っ越しを繰り返していたので、仲良くなった友だちが疎遠になってしまう寂しさは誰よりも分かっているつもりです。

だから出会いや、出会えた人は大事にしたいと思っていますし、今後もたくさんの方と仲良くなり、その方々が大切だと思うご家族やご友人を守れるように、明るく楽しくお仕事をしていきたいと思います!

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